第一診


「おなかが痛くて・・・」

そろそろお盆の後片付けが済み、街のにぎわいが静まるころの夜明け前

(私)
おはようございます。すごく早くにどうしたのですか?

(70代の腰の曲がったこじんまりとしたおばあさん)
<両手で自分のおなかを抱きかかえるようにして診察室に入ってくる。>
腹が痛くて来たのっす。

(私)
そうですか。
いつから痛くなったんですか?

(おばあさん)
ゆんべの晩めしの後から腹が痛くなって、特に吐き気がするとか下痢をするとかではないのだけど、じっとしていらんなくて、病院さ行くべかとも思ったんだけど、外はもう真っ暗だったから迷惑だと思ったんで、一晩中我慢してたのっす。
そんで、我慢すてれば治まるかとも思ったんだけど、やっぱり痛いんで、我慢して我慢してやっと外が明るくなるのを待って出てきたんだよー。

(私)
<内心、はーっとため息をつきながら>
大丈夫、外が暗くっても迷惑じゃないから、痛みが始まった時にどうぞ来てくださいね。
遅い時間でも早い時間でも、病院の診察時間外にできることは一緒だから。
<気を取り直して>
それでおなかのどこが痛いのですか?

(おばあさん)
おなかが痛くて来たのっす。

(私)
いや、おなかが痛いのは分かりました。
それで、おなかのどの辺がどんなふうに痛いのですか?。
ちょうどおへその辺りですか?それともおへそより上とか下にずれてますか?
(おばあさん)
おなかが痛くて来たのっす。

(私)
いや、こまったな。
それではどんな痛みなのですか?
何かが刺さっているような痛みですか?それとも絞られるような感じですか?じりじりと焼けるような感じ?それとも重く何かが乗っているような感じ?

(おばあさん)
おなかが痛くて来たのっす。

(私)
うーん、わからないのですね。
それではそこのベッドに横になっていただいて、ちょっとおなかの診察をしてみましょう。

<看護師に介助してもらって、ベッドの上に横になっていただく>

(私)
<おへその辺りをやさしく、手のひらでなでながら>
このあたりが痛いのですか?

(おばあさん)
<手が触れる前から、おなかをピンと固くして>
痛い!痛い!

(私)
おお、そんなに痛いのですか?
では、こちらはどうでしょう?
<触る場所を頭のほうにずらしながら聞いてみる>

(おばあさん)
痛い!痛い!
どっこも痛いから触るな。
<診察の手を振り払いながら、叫ぶ>

(私)
<ついてきた家族に向き直って>
うーん、困りましたね。
どんな様子かもはっきりしないし、診察もできない。
何か手がかりになりそうなことは思い当たりませんか?

(家族)
痛いっていうから連れてきたんだけど、特に思い当たることって言われても・・・
そうだな、ここしばらく暑かったから、冷たいものばかりほしがってたな。
おなかが冷えたんだべか?

(私)
そうですか。
まあ、おなかを触ろうとしなければ、そう転げまわるほど痛いというわけでもないようですし、吐いたり下痢をしたりという強い症状もないようですし、緊急の処置が必要というわけではなさそうですね。
じゃあ、病院の検査が動き出すまで、まだしばらく時間がかかりますから、つなぎに一本点滴をしながら様子を見ましょう。
検査ができる時間になったら、簡単にできる一通りの検査をやって、その結果を見て判断してみましょう。

<胸とお腹のレントゲン写真と心電図、一般採血検査の結果がそろってから>

(私)
お腹のレントゲンで確かに腸の動きが今一つで、小腸にガスがたまっているようですが、はっきりした腸閉塞の状態というわけではないようですし、採血の結果でも、強い炎症の反応や貧血は見られておらず、腎臓や肝臓などの内臓の働きにも問題はなく、やはり緊急を要する状態ではないようです。
<腹部レントゲンの左半分を指さしながら>
ただし、おなかのレントゲンのここに大便の塊がいます。
最後にウンチを出したのは何日前ですか?

(おばあさん)
ウンチは毎日出る。
昨日の朝だって、ちゃんと出しやんしたよ。

(私)
そうですか。
ちなみに、便が固くって出し辛いってことはありませんか?

(おばあさん)
そりゃ、いつもウサギのウンコみたいにコロコロと固いがら、息まねばなんねえけんど、出るのは、ちょっとずつだけんど、ちゃんと毎日出てるなっす。

(私)
なるほど。
それでは、ためしに浣腸をかけて、今、お腹にたまっている大便を出してみましょう。

<看護師から浣腸で大量の反応便があった事、便の性状が固形から泥状の普通便で、鮮血の付着などの肉眼的な異常は見られなかった事、の報告を受ける。>

(おばあさん)
たっぷり出たなっす。
こんなに出たのは久しぶりだなっす。まるで別のお腹になったみたいにペタンコになって、おなかの痛みも何処かさ行ってしまいやんした。

(私)
それはよかったですね。
今度は便秘になりにくいように、軽い下剤の働きもする整腸剤を出しておきますね。
それとは別に、便秘の原因として何かの腫れが隠れていることもあり得るので、念のために大腸の検査も予定もとっていってください。

(おばあさん)
え、まだ検査しねばならねえのっか?
検査はやんたなー。そんなこと、パッと見てわかんねのすか?

(私)
残念ながら、検査してみるまで、分からないのです。
何か原因になる病気があるのなら、同じ症状を何度も繰り返すことになってしまいますし、余計な心配をしているより、きっちり調べて「何かがあるのかないのか」をはっきりさせてしまえば、その後はしっかり安心できますよ。




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